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G7茨城・つくばサミットを問う会 / Action to Question G7 Meeting in Tsukuba, Ibaraki

16年5月15~17日につくば市で開催される「G7茨城・つくば科学技術大臣会合」に対し、地域住民の立場から、そして/あるいは地球民衆の場を目ざして、批判的に問うプロジェクトを進める有志の会。【核と被ばくをなくす世界社会フォーラム2016】賛同団体です。

(余白に)

その他

わたしたち「G7茨城・つくばサミットを問う会」は、この5月のG7科学技術大臣会合のつくば市開催に対し、昨年12月有志個人の集まりとして結成されて以来つくばで4回の連続講演会を企画し、G7/G8およびグローバリゼーション一般をめぐる諸問題について学び考えてきました。わたしたちの活動は現下の日本の政治的・社会的文脈の中では、ますます一 国主義的に(無意識に?)閉じこもりがちな政治・社会運動の閉域にわずかでも風穴をあけたい、孤立した自己充足的・点的・実体的な自己認識から抜け出して日本の外を/外から日本をみる視点を獲得し、(「対米」という2国間関係とも違う)グローバルな関係・構造において自分たちの置かれている位置そして「国内」諸問題(安保法・軍学共同・武器輸出・TPP・被ばく等々)の問題構成を把握したいというモチーフで一貫しています。会への参加呼びかけ」から引用します。

[G7での] 議論の中心軸は、IMF[国際通貨基金]・ 世界銀行・WTO[世界貿易機関]等の国際金融・貿易機関を操縦して、いかに多国籍企業に有利な経済構造を地球上に構築していくかということです。この新自由主義政策の推進が、富む者をより富ませ、貧しい者を生存不可能なまでに追い詰めていくことは不可避であり、現在終わりのない戦争へと世界中がひきずりこまれているのも、このような「サミット体制」が地域経済やコミュニティーの安定性・自律性を破壊してきた帰結であることは明らかです。「テロとの戦争」 なる安全保障策を唱え、噴き出す矛盾を武力でさらに抑圧するこの体制の責任をこそ問う必要があります。また、極右的な首相個人の思想に帰されがちな安倍政権の安保法制や労働法制の改悪等の施策も、あくまでこの「世界政府」の下で進められているのだということも強調したいと思います。サミットの一員であるという加害性に目をつぶって、日本だけが「平和」の中に閉じこもり続けようと望む(それは可能でしょうか)一国平和主義ではなく、国際連帯による反戦平和の可能性を追求すべきではないでしょうか。(「サミット体制」「世界政府」は栗原康『G8サミット体制とはなにか』[以文社増補版が 4月25日発売予定]からの用語。)

世界政府が実は全世界を操っているのだと言われれば(言ってませんが)なんだか陰謀論めいて真に受け取れず相手にする気が起きないかもしれません。またアメリカの支配・影響力の弱体化ということもあってこの「先進」7ヵ国体制が機能を失調しているように見えることが、今回の伊勢志摩サミット(志摩市でやる国際謀議にへんな愛国宣伝精神接頭辞をくっつけるな。政府側の「自閉性」の端的な表れだ。よそからくるお客さんにどう映ってるのか、教えても分んないよな)がさっぱり意気があがらず話題にもならないゆえんなのでしょうか? いまサミットは何をやっているのかよくわからない。しかし彼らの体制を直接がたつかせている宗教原理主義—それを産み出すもとになったのも彼らでしょうが―による「反グローバリゼーション運動」への必死の「対テロ戦争」立て直し策が今回の議題の中心になるだろうという話もあり(だから日本軍だって動員するんじゃないか)、また二次大戦後に独立した旧植民地に、実質的には変わらぬ支配とさらなる収奪を旧宗主国群が確保し続けるためにこそ構築されたサミット体制の先導するグローバル資本主義の意志は、第三世界のみならず北側諸国・G7参加国の国内をも例外なく貫徹しようとしている、というのが引用部分の言いたいことで、その文脈で日本の「国内」問題を把捉し、サミット体制を視座に据えなければ、ということです。G7をはじめとする国家連合、引用で上げたような国際機関、多国籍資本、国際ロビーなどは超国家的に機能しまたそのような仕方で各国を強引に従わせるのであり、一国の主権や一国家を規定するにすぎない憲法で抗ったり国会だので規制できるような代物ではないはずで、現実もそのように進行していると思わざるをえません。憲法にのみ執着しているとその上位のレヴェルが耳目の外に置かれてしまう危険はないでしょうか?(それにしてもG7参加各国の人々の中でわれわれはとび抜けてG7への問題意識が低い、というか、ほぼないのはやっぱり間違いないのではないだろうか。なんか遠くのお祭りだと思っている。洞爺湖は今いずこ(当時関わっていない人間が言ってはいけないかもしれないが…)。につぽんじんはこくさいかに逆行していませんか? そんなにいちおくぎよくさいが好きですか?……)

とはいえわたしたちは宗教原理主義者でも(排外的)ナショナリスト(日本の反グローバリズムは残念ながらこれが大勢です)でもありません。参照すべきはやはり——1999年11月30日米シアトル、WTO会議の会場へと5万とも7万ともいわれる人々が向かいその存在自体にNOをつきつけ交渉を挫折に追い込んだ時、世界になにが起きたか。

… アラスカからロサンゼルスにいたる港湾労働者、シアトルのタクシー労働者、消防士のストライキなどのほかに、何万もの人々が仕事をサボり、仮病を使い、闘いに参加した。大学生や高校生の多くが授業をボイコットした。インドでは、カルナカスの農民たち数千名がバングロアに向けてデモし、アンジャールの千名以上の村民たちもデモを行った。フランスでは80ヶ所で7万5千名がデモし、8百名の炭鉱労働者が警察と衝突した。イタリアでは11月末まで国家生物安全委員会の本部が占拠された。シアトルの会議に先立つ11月には各地で大きな抗議行動が相次いだ。ジェノヴァのWTO国際本部が11月半ばに一時占拠された。トルコでは環境保護団体の活動家、農民、労働組合の活動家が首都アンカラでデモを行い(11月22日)、ニューヨークのタイムズ・スクェアでも交通を遮断してのストリート・パーティが行われた(11月26日)。翌日には、合州国の通商代表部のチャールズ・バーシェフスキーの事務所が占拠された。韓国では、3000名の学生、労働者がデモを行った。このほか、フィリピン、パキスタン、英国、ポルトガルなどヨーロッパ各国やカナダでも大きな抗議行動が展開された。 小倉利丸「新しい下層と組織されざる階級闘争」、『抵抗の主体とその思想』pp.155-156)

その世界同時蜂起が、「資本のグローバル化が同時にいやおうなく大衆的な闘争のグローバル化をもたらしていることを示した」(ただし「日本を例外として」)ことは、つづく2001年G7ジェノヴァでの闘いともども、もう一つのグローバリズム、有名な "another world is possible" という希望を世界の人々に/われわれに本気で抱かせた、と先月の講演会で栗原学さんは語ってくれました。そしてジェノバから約一ヶ月後の9.11がその希望を微塵に吹き飛ばしたとも。立上げ講演会でおいでいただいた小倉さんも、第三世界の彼らが<マルチチュード>へは向かわず宗教原理主義に救いを求めたこと、われわれが「無神論的運動」を立てて(再建?)ゆくことの必要に言及していました。世界社会フォーラムの標語も今年は "another world is needed" になっています。見通しましてや希望を語れるような現状ではなさそうで、サミットに反対すると言うと「じゃあお前は代わりにどうしたいんだ?」という、たちまち返される質問にすぐには答えられないまま、ここ地方のちっぽけな見ばえのしない運動がなにか勘違いしたように独走しているこの状況はなんなのか…なにが遠くなにが近いのか。とりあえず当日の抗議デモは、もちろんやります。

 

(衝動的に書き流してしまった、無責任に尻切れなこの文章は会の公的な見解ではありません。たいしたことは書かれてなく、考えるべきなのは切れた先「ではどうするのか?」であるのは言うまでもなく、…失礼。:2016/04/07 S.)